どうして新卒で就職するのを辞めたのか。
誰かこの感覚に共感してくださらないかなーと思ったので書いてみました。
最後にタイトルとリンクする僕の考え方を綴っています。
比喩的な意味合いで
・子供=自社とか自社サービス
・他人の子供=業務支援先のサービス
・他人の親=業務支援先の企業担当者とか運営側
現在はある企業でwebマーケ支援とかのお手伝いをしているの。
僕たちがやっていることって家庭教師と同じこと。
どうにかしてくださいよ、ってお願いされてラジャーって言って子供に勉強教えて、ちょっと成績上がる。成績上がったからこれからもよろしくね!ってお金もらう。成績をあげるごとにお金もUPしていく。
それ以上でもそれ以下でもない感じ。
僕が感じたのは結局は彼らの子供でしかないということ。
僕は彼らの子供の成績を上げることに努めれば努めるだけ、自分の子供にも試したくなる。そうは思っていても今の自分には子供がいないから作らなくてはいけない。
自分の子供だったら産みの苦しみもあるし、子供がより良く育つように、めちゃくちゃ頑張る。そもそも思い入れが違う。
<今の時間について>
今は自分の子供をより良く育てるために、どうやったらうまく育てられるのかを学んでいる期間だと思っている。
だから"ケースを知る”っていう目的ではとってもいい時間。
例えば、生まれたときは才能あるかも!と思わせるような子供だった。でも親が怠惰だったり、隣の家の子が頑張ってるのに意識してなかったりで結果ダメ息子になっていたりする。こういう子供とか親を見て、こういう行いだとこういう子供が育っちゃうんだろうなっていうことがケースとして僕の中に記憶される。
そこでダメ息子を更生させるっていうのが僕らの仕事だったりする。ちゃんとましな子に育て上げて、親にありがとう!って言われてお金をもらってる。
でも、僕は葛藤している。
ダメ息子を更生させてる時間があったら、自分の子供に時間を費やしたいっていう感情が湧いてくる。
底辺のダメ息子を東大に受からせました!っていう事例を元に、うちの息子もお願いします!って新しいダメ息子の面倒をみることになる。これでキャッシュ自体は回るし、認知度も上がる。
でも、僕にとって他人ん家のダメ息子を更生させた話なんてのはどうでもいい。いつ死ぬかわからんのに、他人ん家のダメ息子の更生に時間注ぎすぎて、自分の息子を育てる前に死ぬとか訳わからんでしょ。
だからコンサルとかは僕に向いてない。
自分の感性的に起業しかないんだよ。
新卒での就職を選ばなかった理由にも上記のことは関係してくる。
どこの事業会社も創業メンバーの子供を育てているとしか思えなかった。今は創業メンバーがいない会社でも育成方針自体は変わらない。この育成方針いいな!って思う会社があっても、それらを自分の子供の育成方針に上手く取り込むにはどうしたらいいかなって考えの方が先に浮かんじゃう。「既存の育成方針を元に僕もその子供を育てたいです!」とは微塵も思わなかった。
誰かこの感覚共感する人いませんか?
この感覚共感できる人と何か仕掛けたいです。
Nothing Ventured Nothing Gained!!
藤井遥己